第四章 アメリカへ飛雄

伝統とは、民族を結ぶ魂であり、魂の抜けた民族は生き残ることができません。


 私たちが死ぬ前に、必ず子孫に残しておかなければならないものが二つあります。一つは伝統であり、もう一つは教育です。伝統のない民族は滅んでしまいます。伝統とは、民族を結ぶ魂であり、魂の抜けた民族は生き残ることができません。もう一つ、重要なものが教育です。子孫に教育をしなければ、その民族は滅びます。教育は、学問・芸術など新しい文物を吸収することを通して、世の中で生きていく力を得るものです。人は教育を通して生きる知恵を学びます。(164ページ)

宣教師を送り出した後、

私はほぼすべての時間を祈りに費やしました。

彼らの命のために私にできることは、

心を尽くして祈りを捧げることだけでした。

 共産圏の宣教に行く信徒は、親に目的地さえ知らせることができずに出発しました。共産主義の恐ろしさをよく知る親たちが、最愛の息子・娘が死地に入っていくのを許すはずがなかったからです。

 (中略)

 それでも、共産国家に潜入する宣教師の数は日増しに増えていきました。その頃、一九七三年のことです。チェコスロバキアで、宣教師を筆頭に信徒三十人以上が一度に検挙されるという惨い事件が起きました。マリア・ジブナは冷たい監房の中で、二十四歳という花の盛りを迎えようかという年頃で命を失い、共産国家で宣教中に落命した最初の殉教者となりました。翌年、もう一人がやはり監獄で命を失いました。

 知らせを聞いた私は、全身が硬直しました。話すこと、食べることはもちろん、祈ることさえできず、石の塊になったように座り込んでいました。彼らが私に出会っていなければ、私が伝えるみ言を聞いていなければ、そのように寒くて孤独な監獄に行くこともなく、そこで死ぬこともなかったはずなのに……。彼らは私の代わりに苦痛を受けて死んだのです。

 「彼らの命と交換した私の命は、それだけの価値のあるものなのか。彼らは私の代わりに共産圏宣教の重荷を背負ってくれた。その負債を、私はどうやって返せばよいのか」

私はますます言葉を失っていきました。(179〜180ページ)

私は皆さんの霊性を目覚めさせ、

滅びつつあるアメリカを 救おう

とここにやって来ました。

悔い改めてください!

 1970年代初頭のアメリカといえば、ベトナム戦争をめぐる葛藤と物質文明に対する懐疑で、社会が激しく分裂していた頃です。人生に意味を見いだすことのできない若者たちは、道端をほっつき歩いて、酒と麻薬、フリーセックスに人生を浪費し、貴い霊魂を堕落するに任せていました。

(中略)

 「アメリカの自由は神から来たものです。ところが、今日のアメリカは神を捨ててしまいました。今、アメリカの人たちは、神から受けた愛をすべて失ってしまいました。何が何でも霊性を回復しなければアメリカに未来はありません」(181〜182ページ)