第二章 神の召命と艱難

(イエス様が私の前に現れ)

苦しんでいる人類を救い、

神様を喜ばしてさしあげなさい、

という驚くべきみ言でした。

祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、イエス様が私の前に現れました。風のように忽然と現れたイエス様は、「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上で天の御旨に対する特別な使命を果たしなさい」と語られたのです。

(中略)

苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばしてさしあげなさい、

という驚くべきみ言でした。

 「私にはできません。どうやってそれをするのでしょうか。そんなにも重大な任務を私に下されるのですか」

本当に恐ろしくてたまらず、何とか辞退しようとして、私はイエス様の服の裾をつかんで泣き続けました。(62〜63ページ)

読むたびに熱心に線を引いたり

メモを書き込んだりして、

『聖書』はすっかり真っ黒になってしまいました。

 東京に到着した私は、早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科に入学します。

(中略)

 下宿した家の机には、常に英語、日本語、韓国語の三種類の『聖書』を並べて広げておき、三つの言語で何度も何度も読み返しました。読むたびに熱心に線を引いたりメモを書き込んだりして、『聖書』はすっかり真っ黒になってしまいました。(78〜79ページ)

 日本で勉強する間、本当にありとあらゆることをしてみました。ビルの小使いや文字を書き写す筆生の仕事もしました。作業現場で働いて現場監督をしたこともあれば、人の運勢を占ったこともあります。生活に困れば、文字を書いて売ったりもしました。それでも、勉強をおろそかにはしませんでした。私は、そうしたことはすべて自分自身を鍛錬する過程だと考えました。(84〜85ページ)

 

おなかが減ればご飯粒一つが

球よりもっと大きいのです。


 おなかが空けば涙が出るほどご飯が恋しくなり、母親よりもっと恋しくなります。おなかがいっぱいのときは世界の方が大きいのですが、おなかが減ればご飯粒一つが地球よりもっと大きいのです。ご飯粒一つの価値とは、そのように驚くべきものです。

 興南監獄では、配給された握り飯の半分を同僚たちに与え、残りの半分だけを食べました。約三週間そうやって実践した後、初めて握り飯一つを全部食べました。二人分のご飯を食べたと考えれば、空腹に耐えることがとても楽になります。

 興南の実態は残酷の一語に尽き、実際に体験したことのない人には想像すらできないでしょう。囚人の半数が一年以内に死んでいきます。死体を入れた棺桶が毎日のように監獄の裏門に運ばれていくのを見つめなければなりませんでした。(109ページ)

 母は、私が結婚する時に着た紬のズボンを持ってきてくれました。囚人服は硫安で溶けてぼろぼろになって、肌が見えていましたが、私は母がくれた紬のズボンを穿かずに他の囚人にあげてしまいました。親族を頼って準備してきたはったい粉も、母が見ている前で囚人たちにすべて分け与えました。

 (中略)

 「お母さん、私は文なにがしの息子ではありません。文なにがしの息子である前に、大韓民国の息子です。また、大韓民国の息子である前に世界の息子であり、天地の息子です。ですから、彼らを先に愛してから、お母さんの言葉を聞き、お母さんを愛するのが道理です」

(113〜114ページ)